嵐の日のこと

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私は、たった一人で祖父の家に住んでいた。もう長いこと、ひとりだった。
友達とかろうじて呼べるものは、祖父が私に遺してくれたあちこちに渦高く積まれたたくさんの書物達だ。物心ついた時から読み始めているのに、おそらくまだ半分程度しか読破できていない。

日常生活に支障がない程度の家事をこなし、たまに街に下りては食料や消耗品等を買う。祖父が遺してくれたお金があるので、もうしばらくは何もせずとも生活することができるだろう。必要以上の会話はしない。それで私は特に何の不満もない生活を送る。

だって、私が本を開きさえすれば、彼らいつでも語り掛けてくれるのだから。

今日は、ひどい嵐だった。
風が窓にぶつかり、その力の強さで窓枠がぎしぎしと音を立てる。隙間を見つけて強引に通り抜ける風はひゅうひゅうと我が家を囃し立て、木々の寄せ合う音はいつにも増して騒々しい。

でも私は、この嵐が嫌いではない。規則的な音と、不規則なそれの喧騒は、なぜか私を安心させた。屋根に降り注いだ雫がすこし大きな音を立ててはじけるのも、窓にはりついた雫があとからきたそれといくつもいくつも合わさって急速に滑り落ちていく様子も。

今日は少しいい気分だ。
コーヒーも、いつもと変わらない淹れ方をしたのにいつもよりおいしく感じられる。

私が今読んでいる本は、『シュート・フォー・ザ・ムーン・オン・レイニーナイト』。
ラブストーリー小説だ。学術書や実用書が多かった祖父の書斎の一番隅にしまわれていた本だ。今日のように、太陽も月も見えないような日に読むにはぴったりだと思った。

背もたれに身体を預ける。きぃ、という椅子の軋む音。
それが、私が本の世界に入るという合図だ。

ドンドン

ドンドン

不自然な音が耳に入る。
嵐の演奏に紛れる雑音。

ドンドン。ドンドン。

この音は、まるで。誰かが玄関の戸を拳で叩いているような、そんな音ではないか?まさか。こんな山奥に?こんな嵐なのに。石や木の枝が飛ばされてきて、たまたま当たっているだけ?もしかして、幽霊なんてことはないよな。

本を閉じて、恐る恐る扉に近づく。

風の抵抗と戦いながらも、いつもより重くなった扉を開けると、そこには全身に雨を滴らせているずぶぬれの人が立っていた。


その人は、旅の道中だったらしい。嵐の前の静けさに気づき、この先の街へ向かって宿をとるつもりだったのだ。だが、想像よりもずっと早く押し寄せる嵐に視界を奪われてしまい、身動きがうまくとれず、さあどうしようかと途方に暮れていた時に我が家を見つけたという。

「好きにすごしていいから。私のことはきにしないで。」

とは言ったものの。
私「が」この旅人の存在を気にしてしまっている。嵐の日でなければこれは耐えられなかっただろう。誰かの気配を感じるだけでこんなにも本に集中できないものなのか。活字があちらこちらへ逃げていきうまく読み進められない。妙な空気だ。

この旅人は、なんともおもっていないのだろうか。これがきまずいというやつだ。他人を我が家に招き入れるなんて、数年ぶりで、隅々の掃除を怠っていたあの日々を恨む。自分の身なりもとことん整えてこなかった。まあ、私の外見なんて整えたところでそう変わりはないんだけれど。

そういえば、私がずぶぬれの旅人に与えたタオルと、祖父が昔着ていた服は、古臭い匂いがしなかっただろうか。もしかしたら、内心、この家の戸を叩いたことを後悔しているんじゃないか?

頭の中を、もやもやとして影が立ち込める。


沈黙を破ったのは、旅人だった。

「別に、聞いてなくてもいいので、私の旅の話をしてもいいですか?」

私は、旅人を家に招きいれた際に自分が言った言葉を再度返す。

「好きにしていいよ。」

先ほど読もうと思っていたラブストーリーを机の脇に置いて、読みなれた実用書の適当なページを開いた。実は、この時もまだ私は、この旅人の顔をちゃんと見ていない。

そして、雨が降り出すように、その旅人は話し始めた。


その旅人は、まるで一冊の冒険小説のような人生を歩んでいた。船で海を渡り、その身一つで山を越え、谷を飛び越え。
その旅人は、自然の尊さを誰よりも知っているようだった。
その旅人は、「人」を「自然」を愛していた。

その旅人は、話してくれた。
夕方よりも、朝焼けが好きだということ。
雪山で食料が尽きてしまい、生きるために初めて野兎を殺して食べた時のこと。
崖から足を滑らせて、死を最も身近に感じた時のこと。
旅の途中で、ずっとここに居たいと思えるような場所があったこと。
自分が連れていかれそうになるくらいに美しいオーロラをみたこと。

その人は、私なんかよりずっと、たくさんのことを経験し、私なんかよりずっとたくさんの人と出会い、たくさんの人と別れて・・・・・・

私と同じように、ずっと一人でここに来たんだ。

「聞いてた?」

はっ、と我に帰り、咄嗟に「聞いてないよ」と冷たく返す。
見てもいないのに、手が勝手に実用書のページを捲った。

その旅人は、わかったように小さく笑った。

「何、読んでるの?良かったらきかせてくれませんか?」


それからの私の話は、人と話すことに慣れていないのがすぐにわかってしまうようなひどい有様だった。どもるし、途切れ途切れで、たどたどしくて、話がすすんだり戻ったりする。
私が話せることなんて、その旅人が語ってくれた物語に比べたら到底敵うわけがないようなつまらない話だ。上手になんて話せやしなかった。

私は、ただ、ここで本を読んでいただけで、自分で何もしてこなかったのだから。

私が話せることなんて、本に書かれていること以外何もないんだから。

きっと、つまらなかったのに。

その旅人は、なにも言わずに聞いていた、と思う。

私はまだこの時も、ちゃんと、その旅人の顔を見ることができなかった。
何を話したかは、ほとんど覚えていない。
ただ、嵐が和らいでいくのを感じていた。


嵐が過ぎ去り、虫達の声が聴こえるような夜がきた。外はきっと綺麗な月が出ているはずだ。旅人は、乾いた自分の服に着替え身支度を整えている。そうだ。嵐は過ぎ去ったのだから。

「そろそろ行くよ。」

旅人は、私に礼を述べて玄関へと向かう。
礼ついでに、「嵐がきたら、また助けてほしい」なんて言ってきた。
何を言ってるんだろう。この人は。

もういってしまうんだろうか。

荷物を背負う。ベルトの擦れる音。靴紐を縛りなおしている。

本当に、過ぎ去っていってしまうんだ。嵐と一緒に。

「それじゃあ、また。」

その人は、優しい嘘をついて出ていった。
私にはそれが、優しい嘘にしか聞こえなかったんだ。
きっとこれからも旅を続けて、たくさんの人に出会い、別れてまたひとりになる。
私とも、こうして出会い、そして去っていく。同じなんだ。
その人にとって私は全然特別な存在などではないのだ。
そう思わなければ、私はずっとその人のことを思ってしまうのだから。

「次は、嵐の日じゃなくてっ・・・!」

嵐の日ではなくて、なんでもない、晴れの日でもいい。
曇りでも、雨でも、もうなんでもいいから。もちろん嵐の日だって。

私は初めて、振り向いてその人の顔を見ようとした。

振り向いても、既にその人の姿が無いことはわかっていた。

Shoot for the moon on rainy night.

現実だとわかっていても、実際に目では見られないもの。