ひらけども ひらけども

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「どうも、早かったですね。ああ、話は聞いていますよ。こちらへどうぞ。
どちらか扉を選んでください。どちらを選ぶかはあなた次第です。」

「大丈夫。どちらもあなたの扉ですから、不正解はありません。どんどん扉を開いていけば、貴方が探しているものがきっと手に入るでしょう。」

「ですが、約束してください。
扉を開いた先の世界が、どんなにあなたにとって去りがたい世界であっても、あなたの心が必要としている限り、次の扉は必ず現れます。」

「扉を開き続けてください。」

「あなたの探しているもの。見つかるといいですね。」


扉を開けると、ひらけた世界は傘屋だった。
私の入店に気が付いた店員らしき若い男がこちらを一瞥し、「いらっしゃい」と言った。店の外は今にも振り出しそうな鬱蒼とした灰色ではっきりとしない。なぜ私はこんなところに。そう思いながらなんとなく店内をみてまわる。

まるで花屋のようだった。

いくつもの色とりどりの傘が、花束のように丸い筒の中に納まっていて、流行の傘は広げられ高いところにいくつも吊られている。
少しして、一人の紳士風の男が扉を開けて入ってきた。
私店員は、その紳士の入店に気が付きながら、なぜか「いらっしゃい」とは言わなかった。
「傘が壊れてしまったのですが、直せますか?」
紳士は、若い店員に聞いた。
目をやると確かに、紳士の手には複雑骨折した黒い傘が握られていた。
若い店員は、低く冷たい声で「新しい傘を買っていかれては?」と返した。
紳士は、ボロボロの黒い傘を愛おしそうに見つめながら、
「とても大事な傘なんだ。」
と静かに言った。
若い店員はそれを聞くと呆れた風に、
「それじゃ濡れて帰ったらどうですか?きっと楽しい。」
と笑った。
少し考えたあとで紳士も「それもそうですね。」と笑い、もう綺麗に開くことのない傘と連れ添い、扉を開けて店を出ていった。

外は、雨が降り始めていた。


扉を開けると、開けた世界は水族館のようだった。
女性が一人、大きな水槽の前で立ち止まり、ガラスの向こうの世界を表情もなく眺めていた。
「私はね。」
彼女が話しはじめた。
「本当は、あっちの世界で暮らしていたんだよ。」
彼女の瞳に映る、ガラスの壁に隔てられたあちら側の世界には、泳いでいるものはなかった。水がゆらめいて、淡く目がくらむ光が揺れているだけだった。その世界は、なんだかよくわからないが儚そうで、目を奪われる程にきれいな世界に思えた。
「惜しかったなあ、もうちょっとだったのに。」
お手を触れないようにお願いします、と書かれた看板を無視して、彼女はガラスに触れて頬を寄せた。冷たくて気持ちよさそうだ。
「まだ、次の扉がね。出てこないんだ。」
私には見えているはずに次の扉が、彼女には見えていなかった。
向こうの世界はぎらぎらしていて、眩しくないのに目が眩んだ。


扉を開けると、ひらけた世界は道場だった。
一歩踏み出すと、ぺたりとした床の感触を感じて、自分が裸足であることに気づいた。
「お主も、座ったらどうだ。」
道場の真ん中から、声がした。
そちらに目をやると、道着を身にまとった初老の男が、涼し気な顔で一人正座している。道内を包み込む嫌な暑さにうんざりするはずなのに、男は汗ひとつかいていない。こういう場では、正座したほうがよいのだろうか。正座は足が痛むから嫌だなあと思い、私は男の隣に少し距離をとって膝を抱えるようにして座った。

それからしばらくの間会話はなく、私は外で鳴く蝉の声を聴いていた。揺れる木々のぶつかり合う音。まとわりつく熱気に視界がぼやけるのを感じた。
「お主は、まだ探しておるのか。」
夏にうなされていた私は、初老の男の声に目を覚ました。うとうとしていた。
探している?私は何か探していたんだっけ。
「ならば、早く行きなさい。」
さっきは座れといったくせに、と思ったがまあいいか。
此処が、この男の居場所なんだろうか。
私は、何を探しているんだろうか。
現れた扉のドアノブに手をかけ、去り際に振り向いて見た男の顔は、寂しそうにみえた。


扉を開けると、ひらけた世界は、何かの祭りの最中のようだった。思い出したことがある。私は人混みに紛れるのが好きだった。自分の存在が薄くなったようで、安心するんだ。
私は、ちゃんと紛れているだろうか。小太鼓の音が、横笛の音が、頭の中で響いていた。この人混みにいると、私という存在を忘れることができた。
「ねえねえ。」
袖を引かれる感覚に振り返ると、女の子がいた。朝顔の浴衣がよく似合っている。そのまま手を取られて、人混みから引っ張りだされた。
しばらくは、女の子にされるがままについていく。からんからんと下駄が楽しそうに音を立てていた。女の子が立ち止まったので、私は顔をあげた。
目の前には、いつもと同じ扉があった。
「ばいばい。」
女の子が笑って見送ってくれた。もう小太鼓の音も、横笛の音も、人混みもなくなっていた。
「これは・・・・・・夢ですか。」
私はつぶやいていた。
何故か目頭が熱くなって、私は急いで次の扉を開けた。


扉を開けると、ひらけた世界は・・・・・・ぼやけていた。これは雨のようだ。雨が私に降りかかっている。斜めに降る強い雨が、顔に刺さってとても痛い。そんなに私が嫌いなのか。強さを失って頬を伝っていく雫は温く染みていく。ここはどこだ。私はどこへいくんだ。
ああ、雨の音がうるさい。嵐のようだ。
まるで何かを責められているようだ。
胸が苦しい。息ができない。
私は衝動的に叫んだ。
壊れそうな自分を守るために叫んだ。
そして、両手で頬を叩いて、一度強く目を瞑り、大きく開く。

雨は止んでいた。

扉があった。

「濡れるのも、たまにはいいだろ?」
と誰かの声がした。


扉を開けると、ひらけた世界はプールだった。
日差しが強く照り付けていて、何度目かの眩暈に襲われる。プールサイドには、雑草がところどこで飛び出ていて正直綺麗とはいえない。私は、また裸足だった。足の裏がコンクリートに焼かれていて熱い。見上げると雲ひとつない空だ。だが、あのときのような蝉の叫びがまったく聞こえてこない。
プールをのぞき込むと水がためられていて、綺麗に透き通っていた。自分の姿が写り込む。あまり見たくない顔だと思った。そういえば、幼い時私は水の中で目を開けられなかったっけ。しゃがみこんで、手をつけてみた。こんなに透き通っているのに生ぬるいのは違和感がある。ふいに、水族館にいた女性を思い出した。彼女には次の扉は現れるのだろうか。

何かに手を掴まれて、プール引きずり込まれた。

ばしゃん、と水が弾ける音が響く。
「あんたはこっちの人間だと思ったけど、ちがうのか。」

水が、喋った。

私は一体、どっちの人間なんだ。

水に包まれる暗闇の中は心地よいのに、今でも私は目を開けられないままだった。
暗闇の中に扉は現れた。

開けなければ。


扉を開けると、私は灯台の下にいた。
上を見上げると、灯台の展望台に人影があった。
その瞬間、私は弾かれたように灯台の中のらせん階段を駆け上がった。
永遠に続いているように思える。
はやく、はやくしないときえてしまう。
そんな気がする。
何故だろう。
展望台まで一気に駆け上がり、上りきったら、息があがり心臓がうるさい。
もう動けなかった。必死に息をして、ぐらぐらする頭に鞭を打った。
先ほどみた人影は、もうそこにはいなかった。

間に合わなかった。

私の大切な人はもうそこにはいなかった。
大切な人とは、誰のことだろうか。

ああ、空は、灰色だ。
海は荒れていた。乱れていた。
潮風が痛い。

いっそ、ここから落ちてしまおうか。
灯台の白い壁によりかかって頬をよせた。
ざらざらしていて、冷たくて暖かい。

次の扉を開こう。


扉を開けると、ひらけた世界は森の中だった。
いつかの紳士が、私に背を向けて立ち尽くしている。手には、複雑骨折した傘を握っていた。
紳士の向こう側に、さらに誰かいる。

雨は降っていなかったのに、紳士の傘から雫が落ちた。
突風が吹き、木々達がぶつかり騒ぎ出す。

天まで届きそうな木々達のその隙間から覗く空は、やっぱり雨が降りそうだった。

傘はもう開かないのに。

もっとあったかい世界に行きたいな。

胸がざわつき、私は扉の中へ駆け込んだ。


扉を開けると、ひらけた世界はホールだった。
舞台の中心にはグランドピアノがある。
熱いスポットライトに焦がされながら、ピアニストが表情無く鍵盤を軽快に叩いていた。
満員の客席。皆、泣いている。
なんなんだ、これは。
音色に感動しているのか?
悲しいのか。悔しいのか。嬉しいのか。幸せなのか。
私の隣の席には少年が座っていて、目が合う。
「なんだよ、お前。」
と囁かれた。少年も、目の周りを真っ赤にして泣いている。
私を責めるような瞳だ。

私はここにいてはいけない気がした。
私も、泣けばいいんだろうか。
この演奏に感動すれば、悲しいことを思い出せば。
いつかのこみあげる悔しさを吐き出せば、あのときの後悔を引きずり出せば。

泣けるだろうか、私も。

気が付くと、誰もいなくなっていた。

ほら、また私は、一人になった。
残っているのは、舞台の上にある扉だけ。

開ければいいんだろう?


いつまで、
一体、いつまで扉を開ければいいんだろうか。
いつからか、ドアノブから人のぬくもりを感じるようになった。
そのぬくもりを追いかけて、追いかけて、私は扉を開ける。

私は、どこに行きたいのか。
これ以上扉を開けることに意味はあるのか。
わからないけど、わかる時がくるだろう。
扉を開けた先にあった世界の数々は、私に何かを伝えようとしているはずなんだ。

きっと、目が覚める時がくるだろう。
なにもかも全部、思い出す日が。

ひょっとしたら、これは全部夢なんだろうか。
夢であってほしい。

・・・・・・夢でありませんように。

扉が、現れた。