人間でありたいなどと

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洗濯機が死んでしまった。
大見得を切って、20年は使うと意気込んで買った洗濯機だったが、たった五年で、あっけなく、うんともすんとも言わなくなってしまった。時刻は夜の11時。死んでしまった洗濯機の前で、反応しないボタンを何度か押した。

そもそも、なんで自分はこんな時間に洗濯機をまわそうとしていたんだっけ。

ああ、そうだ。
今日はいつもと違う日だった。

仕事から帰ってきて、なぜかその日は、通勤バッグを玄関に置き去りにし革靴を投げ転がし、部屋の明かりもつけぬまま、暫く太陽に愛されていない固い布団の上に、私はその身を投げたのだ。

真っ暗な部屋で私は目を覚ました。

変な体勢で寝てしまっていたせいで左半身が麻痺しており、節々に軽い痛みを感じる。口の中もべたついており生ぬるい。頭痛もした。

あとは、どうしようもない自己嫌悪。

なぜ自分は、人並みの生活がまともにできなかったのだろうか。
ただ、家に帰り革靴をぬいで、通勤バッグは部屋の中のあるべき場所に置き、シャワーを浴びて、晩飯を食べて、歯を磨いて眠る。その簡単な作業手順をこなすだけなのに。

誰にみられているわけでもない、自分の行動を自分自身に非難されていた。

いつもは、なぜ、できていたんだっけ。
いつも、私はどんな日々を送っていたっけ。

ああ、そうか。

私の習慣。それは、日々の通勤時間にワイヤレスイヤホンをスマートフォンに繋ぎ、街の五月蠅さが聞こえないくらいの音量で、自分を紛らわせる曲をかけること。今の自分が肯定されるような曲をかけること。そう、生きる意欲が湧くような・・・・・・言葉にすると鳥肌が立つ。
だが、昨日スマートフォンの充電を忘れて眠ってしまったせいでそれができなかった。
いつも念のためにと持ち歩いていた充電器も、その充電を忘れてしまい、ただの使い物にならない「四角い何か」になってしまっていた。

まるで、どっかの何かと同じじゃないか。と聞くに堪えない自虐が浮かんだ。

今日は洗濯をしなければ。明後日着る服がなくなってしまう。
傍らに積まれた自分の抜け殻達をどうにかしなければ。

夜の11時。あと1時間で日付が変わり、明日が襲ってくる。クローゼットの中から、しばらく使っていなかった旅行鞄を引きずり出し、汚れた抜け殻達を詰めて、私は未明の時が近づく街に出る。

毎日通る、家から駅までの道の途中に、コインランドリーの看板があるのを覚えていた。家から10分ほど歩いたところだ。24時間営業のようで、そこだけわかりやすく光っていた。途中で、終電を逃した酔っ払いをひっかける為に走るタクシーとすれ違った。今私が歩いている道に人通りはほぼ見えず、今この広い道路の真ん中を歩いても大丈夫なのではないかと考えた。信号を無視して道路を渡る。誰も気に留めない。自分にとっては快挙を成し遂げたはずなのに、達成感もなにもなく、子供じみた感情をもっている自分を恥じた。

ポケットに手を入れ、小銭の枚数を確認する。
これだけあればおそらく足りるだろう。

ガラス張りのコインランドリーの中は、誰もいないようだ。
少しほっとして、私は自動ドアに無事認識され、中へと入っていった。


40分。赤い電子表示が、洗濯の残り時間を知らせている。
私の抜け殻達は、水をかけられて、ゴウンゴウンとまわりはじめた。スマートフォンは家に忘れてしまった。かといって取りに帰るのも面倒なんだ。
私は、奥に重ねておいてある丸椅子をひとつ借りて、洗濯が終わるのを座って待つことにした。

39、38、と時間はだんだんと落ちていく。指折るように1秒1秒数えていくと、時間はゆっくりと進んでいった。私の抜け殻が、左へ、右へと玩具にされているのを眺めるのは面白かった。

昔。まだサンタクロースが存在すると信じていた年齢の時の話なのだが。
私は、時間の進み方は平等ではないと思っていた。
好きなことをしていると、時間が経つのが早い。それが体感ではなく、本当に早くなっていると思っていた。自分ひとりの世界を生きていた。

大人になることに憧れた。リビングで両親が飲む酒は、そのジュースよりもおいしそうに見えたし、毎日提出しなければならない宿題が大人にはないということに対して不平を漏らした。今となってはなんて憎たらしいガキだ。
真夜中にやっているテレビ番組の内容が気になった。普段あまり笑わぬ父が大笑いする声が、壁越しに聞こえた。私は、はやく大人になりたかった。

そこで考えた。子供の頃に好きなことばかりしていれば、時間の経過が早くなり、はやく大人になれるのではないかと。宿題をしないで遊んでばかりいた私の言い訳だった。時間の経過が早く感じるのは、時間を忘れて物事に没頭しているだけなのだが。逆に、やりたくないことをただやっている時や、好きなことを待っている間は、時間の経過はもどかしいほどにゆっくりと進み、それこそ20分経ったのではと時計を見ると実際は10分しか経過していない。

だが、社会人になると、何をしていても時間の流れをはやく感じるようになってしまった。好きなことをしていても、つまらないことをしていても、本当に、あっという間に時間は過ぎて行ってしまう。たまらない焦燥感だ。生きるために、毎日毎日、社会のほんのちいさな、なくても差し支えないような歯車となって、最低限の人間的生活をする。たいした経験値も得ていないのに、レベルだけが上がっていくような感覚で、私が、私の顔をみようともせずに通り過ぎていくのだ。私は常に人間でいなければならない。他者に、自分自身に監視されているのだ。

30分。赤い電子表示が、洗濯の残り時間を知らせている。
こんなに何もせずに、ただ洗濯機が洗濯をしているのを眺めているのは初めてかもしれない。
私の抜け殻達が気持ちよさそうに洗われている。

小銭が余っていたので、近くの自動販売機からブラックコーヒーを購入した。


まるで、泥を飲んでいるようだった。

口の中に広がる、この苦さは。あの時と同じだ。

一昨日、疎遠になっていた母親から突然電話が来た。
私は、身内に何かあったのかと、すこし緊張して電話をうける。

「ニュースで見たんだけどね、昔学校であんたのこといじめてた同級生の子。高速道路で事故にあって死んじゃったって。」

・・・・・・何を言っている?

「お母さんね、よかったって思っちゃった。」


私は何も返さずに、すぐに電話を切った。
叫び出しそうだった喉を必死に押さえつけた。
酷い吐き気がした。
何をいってるんだ、こいつは。
お前がどうおもったかなんて。

母親の、私に何かを期待するような声色を思い出して、
人間をやめたい衝動にかられた。

そう、その時も。口の中は泥を食べたように、苔が生えたように気持ち悪かったのだ。

20分。赤い電子表示が、洗濯の残り時間を知らせている。
少し落ち着きを取り戻した。洗濯機は、洗い方のモードを変更して私を飽きさせない。私も、洗濯されたいと思った。

夜の時間はゆっくりと刻まれていき、私はその暗闇に落ち着いたり、恐怖したり、その中に見つけた光に安心したりする。

座っているのが辛くなってきたので、コーヒーの空き缶をゴミ箱に放り投げて、私は外に出た。

気持ちよくもないが、特に不快でもない風が流れている。月は出ていたが、最後に見上げた時よりも、ずっと、ずっと遠くにみえた。厚い雲が空を覆っていて、星は見えなかった。

洗濯機がその仕事を終えてしまったら、家に帰るころにはもう日付が変わっているだろう。変な時間に狂った寝方をしてしまったせいで、次に寝付くのには時間がかかりそうだ。月が見えなくなり、朝日がだんだんとこの街に色を付けていく。人間に戻らねばいけない日が近づくのを、私は震えるような気持ちで待つことになるだろう。

「人間」としては、眠らなければいけないんだろうに。
「人間」になりたくない自分がいる。

1人の夜は怖いのだ。
誰かと共に、たとえば友人と一緒にいれば。
眠ることなく朝を迎えた時は、いっそ気持ちよささえ覚えるのに。
そうだ。友人とはじめて朝まで過ごした日は、他の人間たちよりも自分たちのほうが勝っているような気持ちになった。みんな心の中では、まともな人間になりたくないのだな、と勝手に解釈をしては仲間意識を高めた。


その友人も、私をいじめた同級生と同様に、今はもうこの世にはいない。
その日からだったような気がする。朝が来ても、私の目に映る世界は、黒と白にしか見えなくなったのだ。

遺影。

友人の遺影をみた瞬間に。

10分。赤い電子表示が、洗濯の残り時間を知らせている。
まもなく、私の抜け殻達はきれいに濡れて、あとは家に帰りそれらを干して。
私は湿気に包まれながら、朝が来るのを待つのだ。

不思議と穏やかな気持ちだ。

私は何も、今日だけおかしかったわけじゃなかったんだ。

ずっと、おかしかったんだ。

これが私。なんだろう。

こんなおかしい私を好きだと、いってくれた恋人もいたのだが、彼女は私と一緒に生きることを選ばなかった。

どうか、元気で長生きしてほしいと思う。

最後の10分はあっけなく、それこそ、私を無視するように過ぎた。

家についたら、洗濯機の死骸が私を迎える。
役に立たない充電器を、充電しなければいけないな。

濡れた抜け殻は、思ったよりも重い。
何故か、今日だけは、夜が優しいような気がした。

今日、この日は私にとって特別な日になるだろう。
そうだ、マンションの屋上に忍び込んで、
自分が悪いことをしていると笑いながら、
憎い程に、綺麗な朝日でも拝んでやろう。