いきるのろい

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一体何がそんなにいいんだろうか。


どれだけ褒めてもらえても、謙遜とか卑屈じゃなくてよく分からなくなった。

わからない。


私は生きる呪いにかかっている。

人が、私を思って、贈ってくれた優しい言葉を、

私は踏みにじる。


受け止めたらもう、生きていることができない。

私はどうしようもなく怠惰であり
自らの筆をしっかり手入れしなかったばっかりに
筆の先が私の脳味噌のように固くなってしまって
何かを書くと、その鋭さと筆圧で紙が破けていく。

びりびりと びりびりと 破けていくのだ。


『山月記』の李徴のように、虎か何かになって、消えたくなった。

周りの人間が、私のことを悪く言わないのならば
私が私のことを悪く言わなければ

なにかが破綻してしまう。

私は本当に、創作してる私が本当の私だと思っていたのか。

私は愛だのなんだのいっている。
欲望を愛というとても美しい言葉で塗り固めて装飾しただけなのでは無いか。

どんな欲望も、それが「愛」故にといわれたら、
綺麗なものになってしまうではないか。

人間に「愛」とか「恋」というものや言葉が必要なのは、
そうやって、逃げ道がないと生きていけないからなのだろうか。

その辺に吐き捨てられた吐瀉物も
「これはなんて綺麗なんだ。愛の結晶ではないか。」と誰かが言ったのならば
文学的に考えてなんとなくそういう解釈もできる。

そうだ。私はこうやって不特定多数の人に酷い言葉を聞かせて、
周りの人間が私に抱いている愛に似た何かを試しているのだ。

私は貴方のことを本当に大好きで、本当に大好きだ。
でもこんな私を、私のことを少しでも受け入れられないなら。

私は喜々として悲しんでいるのだ。

私は大好きなんだけどなあ。と涙も流すことも容易くできるのだ。

こういう気持ちを、自分が生きてきた人生で得てきた言葉や感情を、
このままずっと書いていたら、私という存在が無くなるのではないだろうか。

答えがなくて、なんにでも答えになる「愛」を書くことは、
本当に自由で楽しくて、刺さる人はいるものなんだ。

まったく人間は個を持ちすぎているし、多すぎるのだ。

ずっと考えていると地獄だ。

謝らせてくれないか。
謝ると相手が許す許さないに関わらず、なんとなく自分の中で気持ちが軽くなるからだ。
私は楽になりたいのだ。
私の嫌いな私はいつだって、謝っておけばいいだろうと思っているのだ。

私は、私のことを好きだと言ってくれる人の思考を、
ゴミ箱にしているのだ。

胸が引き裂かれるような思いだ。

自分の感情を人に読ませて一体何がしたかったのか。

自分で読んで聞かせて、何がしたかったのか。

私が貴方を大好きだという気持ちすら、嘘のように感じてしまうだろうか。
こんな話を聞かされてしまっては。

なんでこんな深刻にかんがえてしまうんだろうか。

私の存在を、大切にして欲しい。受け入れてほしい。
だが仮に思ってくれている人が居たとしても
それを素直に受け取ることが出来ない自分に吐きそうになるのだ。

自分に価値はない
自分はダメで
最低な人間だ。

声に出して
涙を流すと
自分がとても惨めで。

ほら、こんなに私はいま苦しんでいて
傷ついていて。

だからもっと私のことを見てくれないか。

そういう浅はかな自分がいるのだ。

これが、生きる呪いだ。